27.序章

(ウライオス本部、隊長室。例の”新月の夜”の戦闘行為とからしばらく経ち、長期休暇が終わった頃。)

ゲラルト「…………。(無言で何か資料をじっと読んでいる。報告書を読んでいる時の気だるさは無く、その表情には険しさも見える。時々紙をめくる音がする他に呼吸の音すらしないほど、部屋はしんとしている。)」

ゲラルト「(暗くなってからもう随分と時間が経過したようで外もしんと静まり返っていたが、僅かな物音に書類に向けていた視線をふとドアの方に向けた。)……扉は静かに開」

マベ「(完全にわかりきったタイミングでドアを蹴飛ばして開け放った。両手で抱えるほどの書類の束を持っている。)あー悪い悪い、久しぶりすぎて魔術使うの忘れンだわ!
(色の悪い目を細め、に。と口の端に悪童じみた笑みを浮かべた。)……で。いま何か言ったか?」

ゲラルト「……。(真正面に立つマベから顔ごと視線を逸らして大袈裟にため息をつき、暫く黙った。)……いや。 荷物をその辺に置いて扉を閉めろ、他の隊員が聞くべきではない件だ。(ん、と考える素振りをしてから)……扉は手で閉めろ。」

マベ「………チッ。(面白くないといった風にずかずか歩いてくる。ゲラルトの眼前にどんと書類の束を置き、その上に自分の肘を置いて前のめりになって。)……分隊の奴等の報告書だ。随分働いてくれたぜェ?心して読めよ。“俺の添削付き”だ。(またにやりと笑って背を向け、言われた通りに扉を閉めに行く。)………で?なんだよ話って。(短くそれだけ尋ね、廊下の人気が無いのを確かめるようにしてからドアを閉めた。振り向くとその表情は、普段のマベに戻っている。)」

ゲラルト「添削……か。少しはまともになっているといいが。(背を向けた時に少し目を伏せて、何か思いを巡らせたようだがその真意はわかりそうにない。)……私の管轄の件だ。マベ。お前は”百年に一度の歌姫”とかいう胡散臭い女のことを知っているか?(伏せた目を上げる。そのままじっと真っ直ぐにマベを見つめた。)」

マベ「(近くまできて歩みを止めた。不機嫌そうな顔のまま僅かな時間黙ってゲラルトを見つめる。)……………知ってる。公演を観たわけじゃないが、ここんとこあの界隈はそいつの話で持ちきりだ。(舞台役者がやるように、大袈裟に手を広げてみせ。)“…ひとたびその歌声が響けば全ての観客が魅了される…”だとさ。」

ゲラルト「(少しの間視線が合っていたが、すぐに目線の向く場所を変えた。)なら話は早い、あれは間違いなく黒だ。……となれば、やることはわかるだろう。アレもこちらの動きを察知しつつある……やるなら早急にだ。」

マベ「フン……、(面白くなさそうに来客用のソファに乱暴に腰を下ろした。前屈みになってやや上目遣いに軽く睨むようにして)……お前、なんでそいつを黒と決めた?まさか寝たわけじゃねえだろ?俺じゃあるまいし。(口元だけ笑ってみせた。)」

ゲラルト「(なにか言おうとしたが一度口を噤んだ。)………………”エル”。例の歌姫がそう名乗っているらしい。 今回の任務は特殊だ。一般人を巻き込まないように遂行するのも、こちらの姿を隠し切るのも、索敵も困難を極める。……マベ。(短く名を呼んだあと何も言わず、返事を待っている。)」

マベ「……………エル。(表情も変えずにゆっくりと復唱した。そしてゆっくりと伸びをして)…休暇に入る少し前に聞いたなァ。ミラが例の女のやってる店でそう名乗ってた。(そこまで言うと向き直り、不機嫌そうな顔の片目を細めた。)…………俺はあんたの飼い犬だ。どんなところにだってついて行くし、何だってやってやる。」

ゲラルト「私とミラしか知らないはずの名だ。私にはその歌姫とやらが”殺せ”と言っているようにしか思えないが。(短く溜息をつき、自分の言葉を否定するかのように軽く顔を横に振った。)転移魔術が使えない、逃げ場のない閉鎖空間だ。一般人が5000人程度、対象がどこにいるかは不明。こちらの人員は……私とお前だけだ。」

マベ「………………。(ゲラルトの様子をじっと見つめている。不機嫌そうなその表情に幾ばくかの別の感情が乗ったが、それが何かはわかりにくい。ゆっくりとソファから立ち上がり、目の前までやって来た。)…………それは何処だ。」

ゲラルト「……客船、それも超がつくほどの豪華客船だ。当然警備も厳しいが、極秘任務ゆえに私たちの身分を明かすわけにはいかない。安易に目立つ魔術を使えばすぐに騒ぎになるだろう。武器の携帯も最小限に留める。(そこまで言ってようやく視線をあげた。)……一般客として乗り込む。」

マベ「………海上任務か。………、…………、(少しの間黙りこくってから、ハ、と薄ら笑い声混じりの溜め息をついた。)……最悪の場合5000人の一般人が人質に取られる。こっちゃァ丸腰で奴さんがどこにいるかも定かじゃねえ。そんな塩水に浮かぶ鉄製の棺に、たった二人で乗り込もうってか。」

ゲラルト「陸の舞台には上層部は現れなかったが、今回は揃い踏みで乗船するとの情報だ。対象とその関係者を全て処理する予定だが、……死体は隠しづらい。……。終わったあとは自由にしていい。(またどこか別のところへ視線を移した。)……隊服で行くわけにはいかない。浮かれた貴族に馴染む必要があるな。(どこか浮かない表情をしたが、気のせいかもしれない。)」

マベ「汚れを洗い流す水はタップリあるってのに、船の持ち主にゃ気の毒な話だぜ(肩を竦めて。続く「自由にしていい」という言葉にはニヤリと笑った。)ほーオ。んじゃ最上級のもてなしがどんなものか、お手並み拝見と致しますか。やァァっとそいつと仕事が出来るようになったのに、今回もお留守番で気が気じゃない隊長サマには悪いけどなァ?(そいつ、のところで視線を別のところへ送った。刀のことを言っているらしい。)」

ゲラルト「清掃代がかさまないように一部屋に集めてやるか? (マベの視線に気づいてその先にあるものを見た。)刀は乗船時に隠し切るのが難しい。こいつが居なくても戦闘能力を大きく落とすようなことはないが、(短く息をついて)……私が今心配しているのはそのことでは無い。…まあいい、……詳細は追って伝える。」

マベ「…ッハハ!言うじゃねえか。…どうせネズミ一匹逃げられねえ船底一枚海の下だ、焦ることはねえだろう。あんたの力を信用してねえわけでもねえさ。(軽く首を捻るように傾けると、それが挨拶代わりだったのか背を向けた。)…心配事があンなら手遅れになる前に伝えろよ。(言うだけ言うと、さっさと歩き出した。扉の近くまで来ると、ピタリと動きを止めて。)………………。………………なあ。(何か言おうとしているが、俯き加減のまま動かない。)」

ゲラルト「互いに、船底に穴を開けるような真似はしないように気を付けるべきだな。(机に置かれた書類に一旦手をかけたが、背を向けたままのマベへゆっくり視線を向けた。)……どうした。」

マベ「(少し振り返って、何か考えるように視線を落とした。ゆっくりとそれをゲラルトのほうへ向ける。)………賢女ってやつはよ。みんな、死にたがりなのか。(疑問を投げかけるというより、暗い感情を吐露したような、低く重みのある声。)」

ゲラルト「さあな。私には、…人間には到底理解できないが、あいつらが愚かな人間を憎んでいるというのは間違いない。 (視線は少しも揺るがず、そのまま真っ直ぐ前へ向けられている。) ……その愚かな人間を罰するのが我々の仕事だ。私たちが生きてその任を全うすれば、少しは救われるかもしれない。」

マベ「……………。(話の途中で完全に振り返って、じっとそれを聞いている。黒眼鏡の向こうの光の無い瞳は微動だにしない。)……確かにあいつらは脅威だ。あんなモンが何人もいられちゃたまったモンじゃねえ。とっととブッ潰すに限る。………。………だがよ。憎しみや悲しみを抱えてるってのも、お前の言った通りなんだろうな…。(不意に視線を外し目を細めた。その表情をほんの少し苦々しそうに歪ませた。)………あの女。俺のこと、ありったけ罵って死んでいきゃいいものをよ。」

ゲラルト「私にもわからん。お前よりほんの少し話をしたことがある程度だからな。(何かを言いかけたところで少し驚いたような表情でその言葉を止めた。)いずれ誰かがやらなければならなかったことだ。気にする事はない。(やっと目を伏せて、過去の出来事に思いを馳せている。) ……私が”エル”に最期に言われた言葉はもっと酷いものだった。お前、聞きたくないだろ?(ふ、と笑い声が漏れたような気がしたかもしれない。)」

マベ「短い間でも会話ができたんだろ。俺ァ死にかけてる中の罵り合いですらこのザマだ。…らしくもねえ(自嘲気味に笑ってみせたが、すぐにそれは曖昧なものとなり。)…気にはしてやるさ。それがせめてもの手向けだ。……………。(鋭い聴覚が何かを捉えたのか、複雑そうな顔になった。また僅かな時間、考える素振りを見せて。)…なんで俺が聞きたくねえって思うのかがわからねえな。聞いてやってもいいが…、お前にとってそりゃあ、大事な記憶なんじゃねえのか?」

ゲラルト「(言葉を選んでいるというよりは、言うべきかどうかを考えているような素振りで暫く黙っていた。)………………相手を知る程、殺すときに躊躇いが生まれる。死闘の罵り合い程度で感情に振り回されるお前には背負い切れる話でもない。聞かない方がいい、ということだ。」

マベ「…………ッハ、そうかよ。(口の端を歪めて笑うと片手を軽く上げ、何かを振り払うように動かした。)未熟な俺には聞かせられねえってなら仕方ねえ。重大な任務も控えてることだし、不安な要素は作らねえのが得策だ。(笑いながら背を向け。)…………。…………お前ですら躊躇ったんだな。…と、受け止めておく。」

ゲラルト「私は躊躇いはしなかった。どうやら決断の早さはあの人と似ているらしい。(青い瞳をほんの少し細めて短く息を吐いた。) 7泊8日は海に浮かぶ鉄の塊の中から出られない。その間の分隊内の人員配置は任せる。あと、……それなりの理由は作っておけよ。」

マベ「そうかい。それはそれは。(背を向けたまま笑い声混じりの息を吐いた。また大袈裟に両手を広げて、)…了解しました。では早速取りかかりますのでわたくしめはこの辺で。…なアんてなあ?(横顔だけでちらと振り返ったその目がどこか怒りを含んでいたが、ふっと妙な顔をした。)……、……野暮なこと言うんじゃねえよ。どう言おうが俺の勝手だろ。(その言葉とともにやや強い風がマベの周囲に吹き荒れ、もう次の瞬間にはその姿が消えていた。)」

ゲラルト「(積み上げられた書類を片手で抑え、どこでもないどこかをぼんやりと見つめながら。)感情的になるところだけはあの頃から大して変わっていないな。…………。私が判断を間違うはずがない。躊躇う余裕なんて、あの状況であるわけないだろ。(珍しく誰に聞こえるわけでもない独り言を呟いて、抑えていた手の下から1枚紙をとって読み始めた。)」